佐々木政義
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佐々木 政義(ささき まさよし、承元2年(1208年) - 正応3年6月17日(1290年7月24日))は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府の御家人。佐々木義清の嫡男。通称は隠岐太郎。官位は左衛門少尉。隠岐・出雲両国の守護職。
来歴

1233年頃、父義清より隠岐・出雲両国の守護職を相続したが、三浦泰村と諍いを起こし憤怒に任せて、建長2年12月29日庚申(1251年1月22日)、無断で出家をして「真願[1](心願[2])」と号した。この無断出家の罪により政義の職掌・所領は没収され、弟の佐々木泰清が、隠岐・出雲両国の守護を継承した[3]。
正応3年6月17日(1290年7月24日)入寂。享年83歳。
補注
参考文献
- 『吾妻鏡』
- 『尊卑分脈』洞院公定撰
- 『群書類従』塙保己一編、1819年
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年
- 『講談社 日本人名大辞典』上田正昭、西澤潤一、平山郁夫、三浦朱門監修、講談社、2001年
関連項目
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