会津銀判
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会津銀判(あいづぎんばん)は、会津藩領貨幣として製造された幕末期の地方貨幣。銀貨でありながら小判型に製造されているので、銀判と呼ばれるものの一つである(同様の形態で銀判と呼ばれる地方貨幣には他に秋田銀判・盛岡銀判がある)。
一両・二分・一分の3種類の額面がある。表面には上部に江戸時代の貨幣としては異例の十六弁菊紋章、下部に松の若枝を交差させたものが配され、中央に額面(一両は「一両通」)が表記されている。裏面には右肩に「會」極印、中央に「改」極印が打たれている。裏面の「會」極印と表面の松の若枝の絵柄で、会津若松を表している[1]。
会津藩主松平容保が京都守護職に在任中の文久2年 - 4年(1862年 - 1864年)に公武合体ならびに朝廷よりの鋳銭宣下の記念として製造されたものとされている[1]。
現代の貨幣市場における古銭的価値は、一両が100万 - 200万円のオーダーで取引されており、二分・一分はほとんど取引例がない[2]。
関連項目
出典
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