会場建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 00:18 UTC 版)
「1940年東京オリンピック」の記事における「会場建設」の解説
主会場には、明治神宮外苑に10万人規模のスタジアムを建設することを計画(明治神宮外苑競技場の改築)したものの、明治神宮外苑を管轄する内務省神社局がこれに強硬に反対したために、利便性の高い都心への建設をあきらめざるを得なくなった。 その後、大会組織委員会を中心に主会場の代替建設地の検討が急ピッチで進められた結果、交通の便が極めて悪い郊外であるものの、周辺に畑しかなく敷地に余裕がある東京府荏原郡駒沢町の駒沢ゴルフ場の跡地(今日の駒沢オリンピック公園敷地)にメインスタジアムを建設することとなった。 また、自転車(芝浦自転車競技場)や射撃や水泳(神宮外苑水泳場)、ボート(戸田漕艇場)、馬術(馬事公苑)などの、専用施設を必要とする競技の競技場や練習場の計画及び建設も進められた。
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