伊豆国分寺跡とは? わかりやすく解説

伊豆国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 23:48 UTC 版)

伊豆国分寺」の記事における「伊豆国分寺跡」の解説

昭和31年1956年)の発掘調査により、寺域は2町4方と推定され僧坊講堂金堂中門南門遺構確認された。しかしながら伽藍詳細は明らかとはなっていない。現在は、塔跡基壇礎石8個が現国分寺の境内遺構として保存され、国の史跡指定されている。 『延喜式主税寮伊豆国正税では、代用国分寺として「山興寺」の寺名記載されており、元の国分寺10世紀には焼亡していたと見られている。

※この「伊豆国分寺跡」の解説は、「伊豆国分寺」の解説の一部です。
「伊豆国分寺跡」を含む「伊豆国分寺」の記事については、「伊豆国分寺」の概要を参照ください。

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