伊佐氏と伊佐城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/02/16 06:48 UTC 版)
「伊佐郡 (常陸国)」の記事における「伊佐氏と伊佐城」の解説
伊佐郡を名字の地としていた一族に伊佐氏がある。1189年(文治5年)の源頼朝による奥州合戦では、常陸入道念西の長子伊佐為宗(常陸冠者為宗)が信夫佐藤庄司(佐藤基治)を討ち取る戦功をあげ、奥州伊達郡を拝領した。為宗は本領の伊佐郡にとどまったが、念西と一族の者が伊達郡へと下り、後の仙台藩伊達氏の始祖となった。鎌倉幕府の公式記録ともいえる『吾妻鏡』では、1240年(仁治元年)の伊佐右衛門慰以降、伊佐氏に関する記述は見られない。しかし南北朝時代に常陸国が戦場となると、伊佐氏は伊佐城を拠点に、同族の伊達行宗(伊達行朝)とともに南朝方として戦っている。伊佐城は、1343年(興国4年・康永2年)に落城。伊佐氏は没落し、伊達氏も常陸における拠点を失う。
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