伊佐沢の久保桜の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 04:20 UTC 版)
「伊佐沢の久保桜」の記事における「伊佐沢の久保桜の起源」の解説
「延暦11年、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の軍に従事し、漸次陸奥出羽を巡撫してこの地来り。豪族久保氏の女お玉が厚くこれに侍す。将軍軍旅を収めて去るや、お玉追慕恋の情に堪えず、翌年ついに病没す。将軍之の訃に接し一株の桜をお玉の墓に手植えして、以て墓標とせり」 上記の口伝から、久保桜は別名「お玉桜」としても親しまれている。また、起源については諸説あり、坂上田村麻呂がお玉の死を悼み苗を送ったという説や、地元の豪族が妻と娘の死を悼み手植えしたものという説がある。
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