任毓麟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 00:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 任毓麟 | |
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| プロフィール | |
| 出生: | 1870年(清同治9年) |
| 死去: | 不詳 |
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| 職業: | 政治家 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 任毓麟 |
| 簡体字: | 任毓麟 |
| 拼音: | Rén Yùlín |
| 和名表記: | じん いくりん |
| 発音転記: | レン ユーリン |
| ラテン字: | Jen Yü-lin |
任 毓麟(じん いくりん)は、清末・中華民国の政治家。字は振亭。
事績
清末に挙人となり、直隷省候補道、直隷総督衙門総文案を歴任した。1913年(民国元年)、奉天都督府文案となり、翌1914年(民国3年)6月から10月まで奉天省政務庁庁長を務めている。その後、煙酒事務局秘書、東三省巡閲使秘書長を歴任した。1926年(民国15年)12月、安国軍総司令部秘書長として起用され、翌1927年(民国16年)6月には張作霖により陸海軍大元帥府秘書長に就任した[1][2]。張死後の任毓麟の行方は不詳となっている。
脚注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。 ISBN 7-101-01320-1。
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