他者の語らいの場と欲望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:58 UTC 版)
「ランガージュ」の記事における「他者の語らいの場と欲望」の解説
むしろ、個人の立ち位置、もしくは個としての人間存在の立脚点が、大文字の他者の欲望によってはじめから規定されているのである。 たとえば、生まれてくる子どもというものは、誕生する前から、家族なり、村落共同体なり、彼の周りにすでに作られている「語らい(langage)」の場へとやってくるだけである。あらかじめ彼に割り当てられている象徴的なトポスへと生まれ出てくるだけである。まずはじめに家族の欲望があって、それが子どもを迎え入れるのである。 こうしてラカンは、いっけん個々の人間の内側から湧き上がってきているかに見える欲望は、じつはつねに他者からやってきていて、いわば外側から人間をとらえているのだ、という構造を明らかにし、そのことを「人の欲望は他者の欲望である」というテーゼとして定式化した。人間の主体的決定は、まさにこの他者に由来する欲望を、いかに自分のものにするか、ということにかかっている。 ラカンによれば、ジークムント・フロイトのいう無意識とは、こうして他者から受け取った欲望を自分のものに作りかえる過程において形成されるものであるとする。そのため、ラカンの思想の後継者たち、すなわちラカン派(Lacanian)では「無意識という他者の語らい」という表現がよくなされる。
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