人間の肉体の理解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 04:17 UTC 版)
「パスカシウス・ラドベルトゥス」の記事における「人間の肉体の理解」の解説
カロリング期の他の著述家に反して、パスカシウスは神の像を人間全体に、つまり魂だけでなく肉体にも位置づける。この説は2世紀の教父エイレナイオスと一致している。イエスは神が受肉した存在であるとエイレナイオスは信じていた。つまり子なる神は父なる神の像だというのである。同様に、人間は魂においてだけでなく肉体においても神の像を体現していると考えられる。この説はより受け入れられていたアレクサンドリアのオリゲネスの「肉体はこの神の像という関係に与っていない」という説に対立するものであった。当時の他の神学者と違い、聖化の過程を魂と肉体の形而上学的な分離とは区別した。代わりに、人間の状態(物質的な形で存在する)は聖化を達成するうえで積極的な役割を果たすと彼は信じていた。しかし、魂が肉体よりも大きな役割を果たすと考えるような二元論に関しては、彼は全く信じていなかった。人生は死を練習する機会であるとパスカシウスは信じていたが、肉体は魂の牢獄であるという概念は実際のところ彼の著作に存在せず、これは彼の同輩からの圧力によるものだと考えられる。たとえ肉体が人間の聖化の過程で何らかの役割を果たすと彼が考えていても、肉体が神に反抗することや肉体はいずれ朽ち果てることも彼は認めていた。
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