人物と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:08 UTC 版)
「ナスル (ナスル朝)」の記事における「人物と遺産」の解説
ナスル朝の伝記作家たちは、ナスルを威厳のある物腰で気品があり、穏やかな性格で平和を好む人物であったと説明している。ムハンマド2世の招きに応じてグラナダに移住したムルシア出身の天文学者のイブン・アッ=ラッカーム(英語版)(1250年 - 1315年)から手ほどきを受けたことでナスルは天文学に精通するようになり、さまざまな暦や天文表を自ら作成した。また、当時の著名な医師であったクレビジェンテ(英語版)出身のムハンマド・アッ=サフラーのパトロンとなり、ナスルが失脚した後はナスルに従ってグアディクスで専属の医師となった。さらに、ナスルはアルハンブラ宮殿のアブル=ジュユーシュの塔の建設を担った。この塔はムハンマド2世によって築かれた城壁の上に建つ長方形の塔で、宮殿群の外部へ通じる地下道につながる隠し階段が設置されている。後に神聖ローマ皇帝カール5世の妃であるイサベルが使用したことから、現代ではペイナドール・デ・ラ・レイナ(女王の理容部屋)の名で知られている。この塔はナスルの後継者たちによって使用され、さらには改修が加えられたと考えられており、ナスルを失脚させたイスマーイール1世の息子であるユースフ1世(在位:1333年 - 1354年)は、塔の内部に記されたナスルに関する言及を自分の名前に置き換えようとした。 過去から現代に至るまでの歴史家は、ナスルの退位とイスマーイール1世の即位を、ムハンマド1世(またはラカブのアル=ガーリブ・ビッ=ラーフの名で知られている)から始まるアッ=ダウラ・アル=ガーリビーヤ・アン=ナスリーヤ(アル=ガーリブのナスル朝)の終焉と、アッ=ダウラ・アル=イスマーイーリーヤ・アン=ナスリーヤ(イスマーイールのナスル朝)として知られる新しい王統の始まりとして位置付けている。ナスル朝には特定の君主の地位の継承に関する規則はなかったものの、イスマーイール1世は母系から地位を継承した数少ない君主の一人であった。もう一つの事例は、1432年のユースフ4世(英語版)(在位:1432年)の即位によって起きたものである。
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