二重政府と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 08:13 UTC 版)
極東に避難したディーバーはウラジオストクに首都を遷したが、社会革命党をボリシェヴィキと同類と見なす超保守主義者・民族主義者たちは、自分たちと思想の近い新政権を樹立することを模索した。このため、6月30日にオムスクで会議が開かれ、ピョートル・ヴォロゴーツキイ(ロシア語版)を首班とする新政権が成立した。 これに対し、ディーバー政権はヴォロゴーツキイ政権を認めず、シベリア共和国はウラジオストク政府とオムスク政府がそれぞれ正当性を主張する二重政府状態となった。しかし、軍事部門のシベリア軍はオムスク政府に帰順したためウラジオストク政府は無力化し、ディーバーは辞任しI・A・ラブロフが後任となった。 1918年9月、シベリア共和国はウファで開かれた国家会議において、新たに発足する臨時全ロシア政府に吸収され消滅した。
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