九十九王子_(泉佐野市)とは? わかりやすく解説

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九十九王子 (泉佐野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 03:00 UTC 版)

本項目では、大阪府泉佐野市内に所在する九十九王子(くじゅうくおうじ)について述べる。

九十九王子とは

詳細は九十九王子を参照

九十九王子(くじゅうくおうじ)とは、熊野古道、特に紀伊路沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。

しかしながら、承久3年(1221年)の承久の乱以降、からの熊野詣が下火になり、そのルートであった紀伊路が衰退するとともに、荒廃と退転がすすんだ。室町時代以降、熊野詣がかつてのような卓越した地位を失うにつれ、この傾向はいっそう進み、近世紀州藩の手による顕彰も行なわれたものの、勢いをとどめるまでには至らなかった。さらに、明治以降の神道国家神道化とそれに伴う合祀、市街化による廃絶などにより、旧社地が失われたり、比定地が不明になったものも多い。

本記事では、これら九十九王子のうち、比定地が大阪府泉佐野市内に推定される王子を扱う。

九十九王子

泉佐野市内の九十九王子は3社。さらに、詳細未詳の1社を挙げる。

鶴原王子

鶴原王子(つるはらおうじ)は九十九王子の16番目。貝田王子の別称でも知られる。

『泉州誌』『神祗史料』等の史料では、貝田社と加支田神社(泉佐野市鶴原)を同一視している。『泉佐野市史』には御幸記に鶴原王子の名で登場する旨の記述があるが、所在地の考定はない。

所在地

  • 泉佐野市貝田町

佐野王子(泉佐野市)

佐野王子跡比定地(大阪府泉佐野市上町 1丁目)

佐野王子(さのおうじ、さののおうじ)は九十九王子の17番目。1201年(建仁元年)、『後鳥羽院熊野御幸記』初出。1908年(明治41年)春日神社泉佐野市春日町)に合祀され廃絶[1][2]47年昭和22年)王子跡が府史跡に指定[1][3][4]

歴史

鎌倉時代である1201年(建仁元年)10月7日、後鳥羽上皇が、第4回目の熊野参詣で藤原定家らとともにこの王子(サ野王子)を参詣していることが、藤原定家の『明月記』の別記、『後鳥羽院熊野御幸記』に記されている[3][4]。以下がその1節である。

…晝御宿此野鶴子云々、參サ野王子、次參籾(初)井王子、… — 『後鳥羽院熊野御幸記』

また、室町時代である1473年(文明5年)の『九十九王子記』には佐野王子の名でこの王子が記されている[5]

1906年(明治39年)6月に、佐野村役場から郡役所へ「郷社以下ノ例祭日」の報告がされており、その中で佐野王子神社含む17社[注 1]の例祭日が7月25日であるとして報告された[6]

1907年(明治40年)8月、佐野村に『神饌幣帛料供進社上申書』に関する通牒があり、同村から佐野王子神社含む計18ヵ所の村社[注 2]に、氏子総代の出席が求められた。その時に、『神社合併届』が泉南郡長に提出されたものと考察[6]されている。

1908年(明治41年)1月9日、神仏合祀により春日神社坂口町、現泉佐野市春日町)に合祀され、廃絶する[1][2]。同年6月16日、17日の2日間、合祀先の春日神社にて遷座祭が行われ、佐野王子神社含む6社[注 3]は1日目の午後5時より執り行われた[6]。遷座行列の順は、松明二人(高張)→大麻→塩水→辛真榊→伶人→鳳輩→押へで、田島左京神掌とその他3人、12人の人足で構成された[6]。遷座祭には、佐野村長の小川種治郎[6]助役の田端義一[6]収入役の沢野七与茂[6]、2人の書記、4人の「議員中ノ委員」、3人の議員、佐野王子神社含む各6社の氏子総代それぞれ1人が参加した。[6]

また同月、春日神社社掌の田島左京、氏子総代、佐野村長の小川種治郎[6]の連名で、春日神社に合祀した各社の旧跡地を基本財産として一括同神社に譲るよう求める『官有地元神社境内地無代譲与願』が大阪府知事の左藤義詮[7]に提出された。同年11月29日付で許可され、佐野王子神社含む11社の旧社地[注 4]春日神社に譲られた。譲られた11社の旧社地のうち一部は売却されて、春日神社の維持費に充てられた[8]が、佐野王子神社跡はその後現在も春日神社が所有[2][4]している。

合祀後は廃跡[9]となり、長らく空き地となった[1]。また、春日神社の境内にある松の大木の根元に石祠が置かれていた。

1945年(昭和20年)4月、現在の比定地に顕彰碑が建てられた。さらに2年後の1947年(昭和22年)4月9日に大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則により、記念物、史跡として大阪府指定文化財に指定[3][3][4]された。

佐野王子神社(廃絶)

佐野王子神社(廃絶)
所在地 田出 今王子
(現泉佐野市上町1丁目付近)
主祭神 後白河天皇
社格 村社(最終)
創建 1201年(建仁元年)10月7日以前
別名 佐野王子
例祭 07月25日
地図
佐野王子
佐野王子 (大阪府)
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石祠を安置[3]しており、祭神として、後白河天皇、後鳥羽天皇[2]を奉祀[3]していた。また、熊野八王子御前も奉祀[8]していた。それらに加え、大宮神社(現奈加美神社、泉佐野市中庄)より、大引分神社(おびかき)・中宮神社・射手弦神社・西村神社(にしのむら)が、大引分神社より新引分神社(しかびき)が、西村神社より今村神社(いまむら)がそれぞれ分祀されていたことが、大宮神社由緒書に記録されている[2]

1906年(明治39年)6月の佐野村役場から郡役所への報告では、7月25日が例祭日とされている[6]

当時は旧田出村字今王子の西に位置[10]していた。

佐野王子跡(現比定地)

石碑 写真提供:泉佐野市教育委員会
佐野王子 説明板(春日神社・府教委)

大阪府内の熊野九十九王子跡で、大阪府指定文化財に指定されているものは、厩戸王子跡泉南市、当市南部隣接)と、池田王子跡岸和田市)、佐野王子跡の計3ヵ所しか存在しない[5]。また、熊野九十九王子跡が市区町村で史跡として指定された例はない[5]。これらの点では、佐野王子跡も貴重な王子跡[5]である。

大阪府内の王子跡では珍しく、広めの三角地の公園となっている。堺-泉佐野間の王子跡で最も敷地が広い[11]。中心部に大きく立派な黒色系の石でできた石碑が建てられている[11]ウバメガシの生垣が周囲を囲み、桜の木が二本[11]植えられている。内外に、泉佐野観光ボランティア協会作成の看板[12]が複数設置[13][14]されている。

入口周辺には、大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則第4条により、春日神社大阪府教育委員会の説明板が設置されており、概ね石碑の裏に刻まれている内容と等しい[15]。設置後、年月が経つにつれて説明文の文字が消えつつあった[15]

付近には、大阪府営泉佐野上町住宅(1丁目12-101)がある。なお、度々目印にされてきた十字路のたばこ屋「川出商店」(大阪府泉佐野市中庄1747-7、現1747-4付近)[16][17][18]は、一度駐車場になった[19]後現在民家となり[20]、付近の自動販売機[16]も現在存在しない[20]

沿革
  • 泉南郡佐野町(1945年(昭和20年)4月~1947年(昭和22年)4月9日頃)
  • 泉南郡佐野町中庄(1947年(昭和22年)4月9日、大阪府指定文化財指定日時点)[6]
  • 佐野市(1948年(昭和23年)4月1日、即日改称)
  • 泉佐野市(1948年(昭和23年)4月1日~1949年(昭和24年3月31日)[6]
  • 泉佐野市上町(1949年(昭和24年)4月1日~)[6]
現所在地

GoogleMapsやその他サイト、近年出版の本では住居表示後の上町1丁目12を指すことがあるが、あくまで佐野王子跡の固有の住所でないため、注意が必要である。

王子跡の所在地考定

当時は旧田出村字今王子の西に位置[10]していたとされる。

泉佐野市の見解

柴田 実、1958、『泉佐野市史』、泉佐野市 では、あくまで史跡を表す石碑があるだけで、確実に比定することはできないなどと否定的な立場を取っていた[9][16]が、1960(昭和40年)時点、同市文化財研究評議会編の目録内では、この地を佐野王子跡と比定[9][21]している。

現在も文化財関連の報告等ではこの地を佐野王子跡比定地としている[16]

アクセス

1.5 km
8
7
6
5
4
3
2
1
付近の駅、停留所
1
南海泉佐野駅(最寄り駅)
2
南海井原里駅
3
JR熊取駅
4
JR日根野駅
5
市営バス 職業安定所前(最寄り停留所)
6
南海バス 泉佐野市役所前
7
南海バス 天神山口
8
南海バス 上町1丁目
駅一覧
停留所一覧

なお、昔最寄り停留所で王子跡から熊野古道沿いに200mほどの位置にあった、南海バス田出停留所[9][17][注 5]は現在存在しない[33]

籾井王子

籾井王子(もみいおうじ)は九十九王子の18番目。1201年(建仁元年)、『後鳥羽院熊野御幸記』初出。1915年(大正4年)、日枝神社(泉佐野市南中樫井)に合祀され廃絶[21]する。和泉国五体王子の一つ。

歴史

鎌倉時代である1201年(建仁元年)10月7日、後鳥羽上皇が、第4回目の熊野参詣で藤原定家らとともにこの王子(籾井王子)を参詣していることが、藤原定家の『明月記』の別記、『後鳥羽院熊野御幸記』に記されている[3][4]。以下がその1節である。

…參サ野王子、次參籾井王子、相待御幸、良久臨幸了、御奉幣、里神樂訖、乱舞及相府、次又白拍子加以五房友重二人舞、次相撲三番訖競出騎馬、… — 『後鳥羽院熊野御幸記』

この時後鳥羽上皇一行は、奉幣や里神楽などの奉納を行い、舞や相撲を披露した[1]

また、1210年(承元4年)、修明門院がこの王子(籾井王子)を参詣していることが、藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』に記されている[5]。その他、室町時代である1473年(文明5年)の『九十九王子記』にも籾井王子の名でこの王子が記されている[5]

1915年(大正4年)、日枝神社(泉佐野市南中樫井)に合祀され廃絶[21]する。

『泉州誌』には樫居王子、『和泉誌』には籾井王子の記載がある[34]。大阪府の史蹟名勝指定にあたっての考定によれば、『和泉誌』の籾井の表記は誤転記であり、本来は樫の邦字であるとしている[21]

樫井王子神社

字八王子に位置[35]しており、当時は村社であった。

籾井王子跡

自動車販売・整備会社の「イヅミモータース」の先々代が払い下げを受けた[36]

現在は自動車販売・整備会社の社屋が建ち、その裏手の個人宅内の中庭に顕彰碑が建てられている[1]。自動車販売・整備会社の方に連絡すれば見学することができる[37]

顕彰碑は、1899年(明治32年)5月から1922年(大正11年)3月までの期間、この地にある長男小学校長を務めていた豊田智海[6]の願立てを受けて建てられた[36]。建立時期は、1915年(大正4年)から退職までの期間と考えられており、図書館長の溝端がこれを指導[36]した。

一時期奧庭の庭石にされていたが、後に掘り起こされたとされている[36]

1.5 km
8
7
6
5
4
3
2
1
付近の駅、停留所
1
JR新家駅最寄り駅
2
南海吉見ノ里駅
3
南海羽倉崎駅
4
JR長滝駅
5
市営バス 樫井青年会場前(最寄り停留所)
6
市営バス 長南公民館
7
市営バス 樫井
8
泉南市営バス 楠台
所在地
  • 泉佐野市南中樫井174-1

アクセス

駅一覧
停留所一覧

日根王子

日根王子(ひねおうじ)は、藤原為房の参詣記(永保元年、1081年)に記録があり、社殿・堂があったことが伝えられている王子。史料上で確認できる紀伊路でおそらくは最古の王子だが、これを最後に記録が途絶えている。建長2年(1250年)の後嵯峨院の第1回御幸の頃には廃絶していたようであり、比定地も和泉国日根郡日根郷にあったと推定されるにとどまり、詳細は定かではない。そのため、本項では番外として扱う。

参考文献

西 律、1987、『熊野古道みちしるべ - 熊野九十九王子現状踏査録』、荒尾成文堂(みなもと選書1)

井上正雄、1922『大阪府全志 巻之5』、大阪府全志発行所

大越 勝秋、1962『和泉の宮郷の分布と成立』、人文地理学会 (HGSJ)

市勢紀要編纂委員会、1882、『泉佐野市勢紀要(復刻)』泉佐野市役所市長公室広報広聴課

脚注

注釈

  1. ^ 今村神社、大引分神社、射手弦神社、沖州神社、浜出神社、水分神社、椋山神社、神引分神社、猿田彦神社、小森神社、大森神社、西出神社、八坂神社、松崎神社、若宮神社、佐野王子神社並びに春日神社を指す。だが、春日神社は7月24日への訂正願を提出。別の文書には浜出神社は1月9,10日、椋山神社は9月16日、八坂神社は6月7日より1週間などと異なる日が記されている。[6]
  2. ^ 今村神社、大引分神社、射手弦神社、沖州神社、浜出神社、水分神社、椋山神社、神引分神社、猿田彦神社、小森神社、大森神社、西出神社、八坂神社、松崎神社、若宮神社、岡崎神社、春日神社並びに佐野王子神社を指す。[6]
  3. ^ 新道神社、小森神社、大森神社、末広野牛神社、時雨林庵牛神社、並びに佐野王子神社を指す。[6]
  4. ^ 新道神社、小森神社、大森神社、野牛神社、猿田彦神社、日吉神社、熊野八幡神社、時雨林庵牛神社、妙光寺上神社、西出の三牛神社、並びに佐野王子神社らの跡地を指す。[6]
  5. ^ 南海バス田出停留所は、現在のウエルシア泉佐野中庄店の裏を通る熊野古道(大阪府推奨ルート)[32]付近に存在[17]した。道を挟んでそれぞれに停留所が用意[17]されていた。現在の泉佐野市中庄1741-1と1527-26付近に当たる[17][18]

出典

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  2. ^ a b c d 井上正雄 著、井上正雄 編『大阪府全志 巻之5』 5巻、大阪府全志発行所、1922年、846-848,857-859頁https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I965802#bib2025年7月30日閲覧 
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  7. ^ 歴代公選知事名簿(都道府県別) | 知事検索 | 都道府県情報 | 全国知事会”. www.nga.gr.jp. 2025年8月30日閲覧。
  8. ^ a b 寺田, 兵次郎 編(日本語)『泉州史料 第7巻』岸和田実業新聞社、大阪府、1915年、77,82頁https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I272210000009648422025年8月26日閲覧 
  9. ^ a b c d 上方史蹟散策の会、横田, 健一 著、上方史蹟散策の会 編『熊野古道1・2 大阪の熊野路 和歌山・紀伊田辺への熊野路』(初版)有限会社向陽書房、大阪府、1995年3月21日、82-83頁。 ISBN 9784906108275https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I11300007958662804482025年8月21日閲覧 
  10. ^ a b 松本, 保千代『熊野古道を歩く : 九十九王子跡今昔』有限会社宇治書店、和歌山県、1986年12月25日、29頁。 NCID BA46720169https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I11302822690458841602025年8月20日閲覧 
  11. ^ a b c 山村茂樹 著、山村茂樹 編(日本語)『紀伊路・中辺路を行く : 堺~本宮編(蟻さんの熊野紀行 ; 1)』株式会社ナカニシヤ出版、京都、2002年5月10日、38-39頁https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003660637 
  12. ^ 5月てくてくツアー~新緑の粉河街道と熊野街道を歩く~”. ikv 泉佐野観光ボランティア協会. 2025年8月21日閲覧。
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  14. ^ 泉佐野・桜名所巡り てくてくツアー 2024.4.7(土)”. ikv 泉佐野観光ボランティア協会. 2025年8月21日閲覧。
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  16. ^ a b c d e 西口, 勇(日本語)『くまの九十九王子をゆく 第1部』燃焼社、大阪府、1998年9月、86頁。 ISBN 978-4889789874https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I0000027399502025年8月20日閲覧 
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