久内清孝とは? わかりやすく解説

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久内清孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 03:32 UTC 版)

久内清孝(ひさうち きよたか、1884年3月 - 1981年4月12日)は、日本植物学者・薬学者。日本の植物分類学の初期の研究者の一人である。東邦大学名誉教授。

略歴

麻布中学を卒業後、私立横浜英語学校で英語を学んだ後、横浜に住み、外国人と交流し英語力を高めた。

植物学に興味をもち、横浜植物同好会のメンバーとなり、1909年から牧野富太郎の下で植物分類学の研究を始めた。一方で英語力を評価され、ジャパンタイムス横浜支局長を2年間務めた。1923年、朝比奈泰彦の研究室に入り、1925年に創立された帝国女子医専(後の東邦大学)に1926年に薬学科が作られると帝国女子医専の教授となった。

1952年(昭和27年)、東邦大学教授の肩書で皇居で行われた植物学に関する合同進講に参加した[1]

「植物研究雑誌」に多くの論文を発表し、国立科学博物館主催の植物採集会の指導を長く行った。植物採集標本は2万点以上に達し、東京大学や科学博物館に納められ、東邦大学薬学部生薬学教室に保存されている。

ハマウツボ科ヒサウチソウ (Bellardia trixago) に献名されている。

論文

著書

  • 『植物採集と標本製作法』、本田正次と共著(1931年)
  • 『帰化植物』(1950年)

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、378頁。 ISBN 978-4-487-74411-4 

参考文献




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