主教として - 北米・ヤロスラヴリ・ヴィリニュス
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「ティーホン (モスクワ総主教)」の記事における「主教として - 北米・ヤロスラヴリ・ヴィリニュス」の解説
1898年9月14日、ティーホン主教はアリューシャンおよびアラスカの主教となった。アメリカの正教会の首座として精力的に働き北米での教勢の拡大に努めた結果、1900年に、教区は「アリューシャンおよびアラスカ教区」から「アリューシャンおよび北米教区」に変更された。ここでもティーホン大主教は人望を得ていた。 1901年5月22日、ティーホンはニューヨークに聖ニコライ大聖堂の基礎を成聖し、さらに他にも教会を設立した。1902年11月9日、ブルックリンにシリア人正教徒移民のために聖ニコライ教会を成聖、2週間後にニューヨークの聖ニコライ聖堂を成聖した。 1905年、北米主教区は大主教区に格上げされ、ティーホンも大主教となった。同年6月、ニューヨークに聖ティーホン修道院が設立・成聖された。 1907年にロシアに帰り、1913年までヤロスラヴリ教区を管轄。ここでも人々から好感をもたれたティーホンは、ヤロスラヴリから名誉市民の称号を受けている。 1913年12月22日、リトアニアのヴィリニュスに移り、教区を管轄。慈善事業に力を入れた。
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