中西耕石とは? わかりやすく解説

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中西耕石

読み方なかにし こうせき

幕末・明治南画家筑前蘆屋生。名は寿、字は亀年、別号に荃岡・竹叟・石山断流閣等。幼時より画を好み大坂篠崎小竹の門に学び、ついで京都小田海僊学び一家を成す山水花鳥能くする当時日根野対山前田暢堂併せて対暢耕と称された。明治17年(1884)歿、78才。

中西耕石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 00:47 UTC 版)

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中西 耕石(なかにし こうせき、1807年文化4年) - 1884年明治17年)1月9日)は、江戸時代後期から明治時代の日本画家筑前国芦屋中小路(福岡県芦屋町)出身。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。山水画花鳥画に優品を残した。

経歴

生家は陶工とも紺屋とも言われるがはっきりしない。若くして上洛し、京都松村景文に師事し四条派を学ぶと、大坂に出て漢学の篠崎小竹の門下となり、再び京都に戻ると小田海僊南画を学び名声を得て、1882年(明治15年)には、京都府画学校の教授に就任した。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
江村雨後・溪山雪霽図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 155.0x363.0(各) 個人[1] 1856年(安政3年)
渓山雪霽図 絹本著色 1幅 119.3x51.2 下関市立美術館 1862年文久2年)
秋渚晩霽図 絹本墨画淡彩 1幅 128.9x50.0 泉屋博古館 1873年(明治6年)[2]
桃花流水図 絹本著色 1幅 152.7x84.3 泉屋博古館 江戸後期から明治時代 款記「桜花流水/曽見王石谷有此本/耕石道人寫意」/「壽平」朱文方印。「西壽」白文方印[3]
四季山水図屏風 紙本墨画淡彩 二曲一双押絵貼 桑名市博物館[4]
竜虎図屏風 紙本墨画 二曲一隻 154.5x173.0 個人(八幡市立松花堂美術館寄託 明治時代

その他

脚注

  1. ^ 堺市博物館編集・発行 『堺市博物館秋季特別展 近世の大阪画人―山水・風景・名所―』 1992年10月10日、第63図。
  2. ^ 泉屋博古館編集 『泉屋博古 近代日本画』 公益財団法人 泉屋博古館、2017年2月25日、p.218(写真なし)。
  3. ^ 泉屋博古館編集 『泉屋博古 近代日本画』 公益財団法人 泉屋博古館、2017年2月25日、pp.22,179。
  4. ^ 桑名市博物館編集・発行 『桑名市博物館収蔵品図録』 2016年3月31日、p.38。

参考文献

  • 渡邊善造「南画家中西耕石」


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