中浜と伊呉野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 04:57 UTC 版)
元々、道の片側にのみ家屋や船小屋が並んでいなかったため「片道」と称されていたり、「中浜の分家」「向こう原海」などと称されていた。しかし、1904年(明治37年)から始まった移住が徐々に進み、1942年(昭和17年)には17戸になった。また、それまで中浜村に属していたが距離が離れているなどの理由から1つの村として独立。そして村民自ら区長を選出し、中浜村の佐藤長右衛門家が漁の神として祀っていた立石の稲荷神を村の氏神とした。1986年(昭和61年)には、氏神の社殿が新築された。
※この「中浜と伊呉野」の解説は、「中浜 (村上市)」の解説の一部です。
「中浜と伊呉野」を含む「中浜 (村上市)」の記事については、「中浜 (村上市)」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から中浜と伊呉野を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から中浜と伊呉野を検索
- 中浜と伊呉野のページへのリンク