中村恭平 (教育者)とは? わかりやすく解説

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中村恭平 (教育者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 09:33 UTC 版)

中村恭平
中村恭平

中村 恭平(なかむら きょうへい、1855年7月4日安政2年5月21日) - 1934年昭和9年)1月21日)は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人で、東京物理学校第3代校長。

経歴

  • 1855年7月4日(安政2年5月21日) - 三河国田原藩に生まれる。
  • 1870年明治3年) - 貢進生となり、大学南校(後の東京大学)へ入学する。
  • 1878年(明治11年) - 東京大学仏語物理学科第1期卒業。
  • 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の創立者の一人となる。
  • 1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。
  • 1887年(明治20年)1月 - 福島尋常師範学校(後に、福島県尋常師範学校、現在の福島大学)校長となる。
  • 1895年(明治28年)12月 - 福島県尋常師範学校校長を辞する。
  • 1898年(明治31年) - 東京帝国大学(現在の東京大学)舎監となる。
  • 1902年(明治35年)頃 - 山川健次郎(東京帝国大学総長)の秘書となる。
  • 1904年(明治37年)頃 - 東京帝国大学助教授となり、夏目漱石(同大学講師)と親交を持つ。
    夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公が、東京物理学校へ通う設定にしたことに影響を与えたといわれる。
  • 1913年大正2年) - 東京物理学校に、幹事兼主計として常勤する。
    昼間は東京帝国大学、夜間は東京物理学校へ勤めた。
  • 1923年(大正12年) - 東京帝国大学書記官を辞する。
  • 1930年昭和5年)1月7日 - 東京物理学校の第3代校長となる。
  • 1934年(昭和9年)1月21日 - 死去により、東京物理学校校長を辞する。
公職
先代
藤田虎力
新潟県尋常中学校長
1895年 - 1898年
次代
湯原元一
先代
能勢栄
福島県尋常師範学校長
1887年 - 1895年
次代
住田昇



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