中山を攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 22:53 UTC 版)
同年9月、慕容儁が再び出征を開始して冀州へ攻め入り、章武・河間の2郡を攻略すると、慕容恪は河間郡太守に任じられた。 351年8月、慕容恪は冉魏の勢力圏である中山へ侵攻した。唐城まで到達すると、冉魏の将軍白同と中山郡太守侯龕は共に城を固守した。慕容恪は力押しで中山を攻め降すのは難しいと判断し、慕容彪に中山攻撃を継続させると、自らは南の常山へ向かって九門に駐屯し、周囲の郡県より攻略せんとした。すると、冉魏の趙郡太守李邽は郡を挙げて慕容恪に降伏したので、これを手厚く慰撫した。その後、再び中山へ戻って包囲攻撃を掛けると、侯龕もまた城を出て降伏したので、慕容恪は彼を中尉に任じた。さらには中山を攻め落として白同を処断し、冉魏の将帥と豪族数10家を薊へ移住させ、残りの者についてはこれまで通りの生活を保障して安撫した。彼の軍は規律が非常に厳しかったので、わずかほども軍令を犯す者はいなかったという。
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