中学卒業から独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 17:09 UTC 版)
1955年(昭和30年)に中学を卒業するとすぐに姉の紹介で別府の鮮魚店の小僧となる。姉は、働きたいという尾畠に対し「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」と言った。別府駅に向かう際、父から青い10円札を3枚持たされ、珍しく大盤振る舞いだなと喜んだものの、その30円は片道切符代に過ぎないことを知り、帰るという選択肢がないと知る。鮮魚店ではあらの煮つけが出たが、毎日が芋とカボチャの日々だった尾畠は、こんなうまいものはないと衝撃を受ける。別府の鮮魚店で3年間修業の後、下関市の鮮魚店で3年間フグの勉強をする。その後、神戸市の鮮魚店で関西流の魚のさばき方やコミュニケーション術を4年間学ぶ。10年の修業後独立するつもりだったが、給料が安く貯金はゼロに近かった。開業資金を得るために上京し、大田区大森の鳶・土木の会社に「俺には夢があります。3年間どんな仕事でもするので働かせてください」と頼み込み就職する。この時の鳶と土木工事の経験が、現在のボランティア活動に役立っているという。会社からは、残って頭になれと熱心に誘われたが、1968年(昭和43年)に大分に戻り、4月に結婚。同年11月、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業。地元で人気店となる。
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