中国の藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 00:14 UTC 版)
古代中国の周で、王室を護衛する諸侯を藩と呼んだのが由来とされる。転じて、国を冊封された諸侯一般、およびその領地を指すようになった。領地のことは藩国とも呼ぶ(蕃国とも)。 藩という語は周代〜清代に使われたが、日本と違って固有名詞として「○○藩」のように使われることはほとんどない。例えば、唐後半から五代十国にかけて地方に割拠した節度使勢力を藩鎮と呼んだが、この諸藩の領地を呼ぶときには「宣武節度使の朱全忠」「河東節度使の李克用」というように、地名+節度使名で呼び、「宣武藩」「河東藩」とは呼ばない。清代の、辺境の半独立国だった三藩が有名だが、この諸藩も朝廷から賜った王号で呼ばれ、「○○藩」とは言わない。ただし、明代では福藩、潞藩、桂藩などしばしば使われた。
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