世界遺産化運動頓挫による影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:54 UTC 版)
「京都丹波高原国定公園」の記事における「世界遺産化運動頓挫による影響」の解説
1990年代後半に茅葺き集落・北村の住民が中心となり「芦生の森を世界遺産にする会」が結成され、芦生研究林と北村集落を世界遺産(複合遺産)に登録しようという運動を展開していたが、研究林を所有する京都大学の合意が得られず、研究林内に関西電力による揚水発電所を建設する計画もあり旧美山町(南丹市合併前)が推進役を果たしていたため行政の支援を受けられない状態にあった。その後、2003年(平成15年)に環境省と林野庁が「世界自然遺産候補地に関する検討会」を開催した際、芦生の森は候補にも選定されなかったため自然遺産としての可能性が消え、世界遺産では同一国内での先行登録物件に類似した案件の追従登録は認められておらず、茅葺家屋は白川郷・五箇山の合掌造り集落で既登録のため文化遺産としての可能性も低いことから登録運動は立ち消えとなり、やがて会が抑止していた由良川のコンクリート護岸工事が実施されたことで景観破壊が進み、茅葺屋根の文化資材となる茅場の一部が失われてしまった。
※この「世界遺産化運動頓挫による影響」の解説は、「京都丹波高原国定公園」の解説の一部です。
「世界遺産化運動頓挫による影響」を含む「京都丹波高原国定公園」の記事については、「京都丹波高原国定公園」の概要を参照ください。
- 世界遺産化運動頓挫による影響のページへのリンク