世田谷を記録する会の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:05 UTC 版)
「浅野辰雄」の記事における「世田谷を記録する会の時代」の解説
1970年(昭和45年)以降は、記録映画に専念し、1972年(昭和47年)には『山のこだま』(製作日映科学映画製作所)、1976年(昭和51年)には『東京の下町』(製作日本記録映画作家協会・東京を記録する会)を監督している。1991年(平成3年)、日本シナリオ作家協会が主宰する「第14回シナリオ功労賞」を杉本彰、山田典吾、井手雅人(以下故人)、池田一朗、川西正純、田辺虎男とともに受賞する。 2006年(平成18年)9月15日、東京都内で死去した。満90歳没。2007年(平成19年)7月27日 - 同年9月26日に東京国立近代美術館フィルムセンターで行われた特集「逝ける映画人を偲んで 2004-2006」では、浅野を偲び、8月5日・9月7日に『アナタハン』、8月22日に『号笛鳴りやまず』が上映された。
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