不幸な焼却処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:49 UTC 版)
4月13日、公共施設・公有地庁の長官であったスペンサー・コスビーは90本の桜(Prunus serrulata)を輸入し、ポトマック川沿いのリンカーン記念館から東ポトマック公園(英語版)まで植えた。この桜は後に普賢象ではなく白普賢に近い種類であったことがわかった。これらの木は大部分が21世紀までになくなっている。 1909年8月30日、在アメリカ合衆国日本国大使館はアメリカ合衆国国務省に東京がアメリカ合衆国に2000本の桜を寄贈し、ポトマック川沿いに植えようとしていることについて伝えた。桜は1910年1月6日にワシントンD.C.に到着した。フローラ・W・パターソンが主導する農務省の検疫チームが調べていたところ、桜が昆虫や線形動物に汚染されているのを発見した。 農務省は検疫結果を見過ごすことはできず大統領に処分を提言、止むなくタフト大統領は1月28日に焼却命令を出した。国務長官フィランダー・C・ノックス(英語版)は日本大使に対して関連する事柄に遺憾の意を示す手紙を書いた。
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