下原村 (岐阜県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 01:33 UTC 版)
| しもはらむら 下原村 |
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|---|---|
| 廃止日 | 1955年(昭和30年)3月1日 |
| 廃止理由 | 合併 下原村、武儀郡金山町・菅田町、郡上郡東村 → 益田郡金山町 |
| 現在の自治体 | 下呂市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 岐阜県 |
| 郡 | 益田郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 28.10 km2. |
| 総人口 | 2,786人 (1955年) |
| 下原村役場 | |
| 所在地 | 岐阜県益田郡下原村下原町66 |
| 座標 | 北緯35度40分08秒 東経137度10分01秒 / 北緯35.669度 東経137.16692度座標: 北緯35度40分08秒 東経137度10分01秒 / 北緯35.669度 東経137.16692度 |
| ウィキプロジェクト | |
下原村(しもはらむら)は、かつて岐阜県益田郡に存在した村である。1955年(昭和30年)に合併で金山町となった後、現在は下呂市の一部である。
かつての金山町東部、旧飛騨国の最南端で飛騨川沿いの村である。
歴史
縄文時代の遺跡が、下原地域では各所において発見されており、人々の生活があったと考えられる[1]。
室町時代には飛騨国守護京極氏の、戦国時代には守護代である三木氏の領地となる。1586年(天正14年)に飛騨高山藩領となる。1600年頃(慶長年間)にはこの地域が麻生郷(1700年頃に下原郷と改称)の所属となる。1692年(元禄5年)に幕府領となる。
- 1875年(明治8年) - 下原郷の名称を廃止し、久野川村、夏焼村、蛇之尾村、田口村、門和佐村、門原村、保井戸村、火打村、和佐村、瀬戸村、三ツ渕村、福来村、中津原村、大船渡村、中切村、下原町村、渡村が合併し、下原村となる。
- 1883年(明治16年) - 分割により、久野川・夏焼・蛇之尾・田口・門和佐の各村域が上原村、門原・保井戸・火打・和佐・瀬戸・三ツ渕の各村域が中原村として独立。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により下原村が村制施行。
- 1955年(昭和30年)武儀郡金山町・菅田町、郡上郡東村と合併し、益田郡金山町が発足。同日下原村廃止。
教育
交通
名所・旧跡
注釈
脚注
- ^ 金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、53頁
参考文献
- 金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、2005年復刻
関連項目
- 下原村_(岐阜県)のページへのリンク