上野敬三_(軍人)とは? わかりやすく解説

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上野敬三 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 02:28 UTC 版)

上野敬三
生誕 1891年12月20日-
日本岩手県雫石町-
死没 (1985-09-25) 1985年9月25日(93歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
最終階級 海軍中将
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上野 敬三(うわの けいぞう、1891年12月20日 - 1985年9月25日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

岩手県雫石町出身。県議・上野広成の三男として生まれる。盛岡中学校を経て、1913年12月、海軍兵学校41期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。航空術学生として学び、横須賀航空隊付、同教官、「三笠」乗組、佐世保航空隊分隊長、霞ヶ浦航空隊分隊長、同飛行隊長心得、大村航空隊飛行隊長、「鳳翔」航空長、霞ヶ浦航空隊飛行隊長、欧米出張、霞ヶ浦航空隊・「赤城」・「加賀」の各飛行長などを歴任。

さらに、海軍航空本部教育部員、「能登呂艦長、霞ヶ浦航空隊副長、「蒼龍」艦長、大分航空隊・横須賀航空隊の各司令などを歴任し、1941年10月、海軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。第25航空戦隊司令官、第61航空戦隊司令官などを経て、1944年10月、海軍中将となった。

以後、軍令部出仕、艦政本部造船造兵監督長、東海海軍監理長・監査長、東海北陸地方海軍部長などを勤め、東海北陸海軍軍需監督部長として終戦を迎えた。1945年10月、予備役に編入された。

1948年3月、公職追放の仮指定を受けた[1]

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、106頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。



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