上原淳道とは? わかりやすく解説

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上原淳道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 00:48 UTC 版)

上原 淳道 うえはら ただみち
人物情報
生誕 (1921-08-20) 1921年8月20日
日本
東京都
死没 1999年11月27日(1999-11-27)(78歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 東洋史(中国古代史)
研究機関 東京大学
関東学院大学
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上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。東京大学教授、関東学院大学教授などを歴任。

経歴

上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学。しかし、太平洋戦争の戦局悪化により、1943~1945年学徒兵として従軍。

戦後、1948年に東京大学卒業、同大学院に入学。1953年より母校の東京大学教養学部専任講師となり、1955年助教授、1967年教授。1982年に定年退官。名誉教授称号を辞退し、その後は関東学院大学教授として教鞭をとった。1987年に関東学院大学も退職。1999年、脳出血により逝去。

人物・研究活動

  • 中国史学者であったが、政治状況もあり一度も中国大陸へ渡らなかった。
  • 1961年フォード財団、アジア財団(The Asia Foundation)の日本での中国研究者資金供与問題では、強く反対した。
  • 「読書雑記」として、1963年から死去まで毎月ガリ版刷(のちコピー)の一枚通信を刊行し続けた。「読書雑記」は上原淳道が信頼できると判断した人にしか送付されず、信頼できないとみなされた者は途中で送付を打ち切られたという[1]。没後に勝子夫人により私家版で、全441号を複写収録した単行本が発行された。

著書

翻訳

参考

  • 『読書雑記』巻末年譜
  • 山根幸夫「上原淳道氏の思い出」(山根幸夫『続中国研究に生きて』汲古書院 2001年 収録)

出典

  1. ^ 山根幸夫「上原淳道氏の思い出」-『続 中国研究に生きて』より



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