三菱との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 05:55 UTC 版)
岩崎弥太郎とウォルシュ兄弟は岩崎弥太郎がまだ土佐藩士として開成館で活躍していたときから接触があったのである。岩崎弥太郎が独立した際にはウォルシュ兄弟が融資をしていた経緯もある。Japan Paper Making Co.をウォルシュ兄弟の個人事業Kobe Paper Millに改組する際にも岩崎弥太郎と協議をしている。岩崎弥太郎からの借金は高利子(当初年18%のちに減免するがそれでも10%)だったため1887年になっても10万円あまりの借金が残っていた。ウォルシュ兄弟と岩崎弥太郎は相談しこれを株式に転換した。同時にウォルシュ兄弟にも株を発行し、さらに岩崎とウォルシュ兄弟は現金をあらたに出資してこれを新たな設備投資資金にした。当初のウォルシュ兄弟の合資会社から三菱岩崎家も大株主として参加するKobe Paper Mll Co.に改組したのである。
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