三春張子人形とは? わかりやすく解説

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三春張子人形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/15 03:01 UTC 版)

高柴デコ屋敷の張子人形

三春張子人形(みはるはりこにんぎょう)は、福島県郡山市(旧三春藩領)の高柴デコ屋敷などで作られる伝統工芸品郷土玩具

概要

三春人形、三春張子とも呼ばれる、張り子の人形。正式には、高柴張子。

京都伏見人形がルーツ。江戸時代日本海海運として活躍した北前船にて京都の文化が山形酒田港に持ち込まれ、最上川を遡って米沢へ流れ相良人形が生まれる。さらに米沢から隣の仙台に文化が流れ堤人形が生まれることとなる。また、この仙台藩藩主である伊達政宗の正室は、三春藩愛姫だったことから、 仙台に流れていた京都の文化が三春地方に流れてきたと言われている。

明治時代になって藩の援助がなくなり、人形に使用される染料に制限が加えられたことなどから、一時期、生産量が激減したが、大阪の財界人で郷土人形収集家の本出保治郎や三春町の小沢太郎らの協力により復興し、再び生産が盛んになった[1]

昭和初期、三春駒を始め、人形づくりを復活させたのは、主に橋本広司民芸(はしもとひろじみんげい)と彦治民芸(ひこじみんげい)の2軒のみであり、他ではそれまではだるま製作が主流であった。高柴デコ屋敷には、古くからの木型約2,000個が残されており、その一部は福島県指定の重要有形民俗文化財に指定されている[2]

高柴デコ屋敷では、各種のお面や、だるま、恵比寿大黒十二支の動物などの縁起物、雛人形歌舞伎浮世絵を題材にした人形など、様々なものが作られている。現在は当たり前のように様々な地域でつくられている十二支の張り子であるが、福島県で初めて最初に十二支シリーズを完成させたのは、彦治民芸9代目の橋本彦治(はしもとけんじ)である。また、1998年(平成10年)には彦治民芸の10代目橋本高宜(はしもとたかよし)が制作した「腰高とら」が年賀切手に採用された。

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脚注

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