三女・ダイアナ (1910 - 2003年)
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(Diana Freeman-Mitford、Diana Mosley 1910年6月17日 - 2003年8月11日) 詳細は「ダイアナ・ミットフォード」を参照 ギネスビールの創業者一族であり、政治家でもあった初代モイン男爵ウォルター・ギネスの息子ブライアン・ギネスと18歳で結婚し、ブライト・ヤング・シングスのひとりとして華やかな生活を送っていた。しかしイギリスファシスト連合のリーダー、オズワルド・モズレーと不倫関係となり、夫と離婚。モズレーは初代カーゾン・オブ・ケドルストン侯爵ジョージ・カーゾンの娘と結婚していたが、その妻が急死し、1933年にダイアナと再婚した。結婚式はアドルフ・ヒトラーを立会人に、ヨーゼフ・ゲッベルスの家で行なわれた。モズレーとの間に二人の息子をもうけたが、次男のマックス・モズレーが1歳のときに夫と一緒に収監され、第二次大戦中の3年間を収容所で暮らす。出所後は夫とともにアイルランドゴールウェイ州のクロンフェルト村で暮らし、のちにフランスに移住。92歳まで生きた。 それぞれの夫との間に息子が二人ずついる。ダイアナの最初の夫ギネスとの長男ジョナサン・ギネスは2度結婚しており、最初の妻との娘(ダイアナの孫)キャサリン・ギネスはアンディ・ウォホールの取り巻きのひとりとして名を馳せた。その弟ヴァレンティンはデザイナーのルル・ギネスの元夫。ジョナサンの2番目の妻との娘ダフネ・ギネスは、奇抜な服装で知られ、しばしばメディアに登場している。ダイアナの2番目の夫モズレーとの次男、マックス・モズレーはF1界の重鎮にして、セックス・スキャンダルの当事者として世間を騒がせた。
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