三善清之とは? わかりやすく解説

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三善清之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 02:15 UTC 版)

三善清之

三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日[1]1860年1月8日) - 昭和17年(1942年11月19日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、土木技術者陸軍軍人工兵中尉)。

経歴

香川県丸亀市出身。1878年明治11年)、大阪府師範学校を卒業し、小学校訓導となった[2]。その後、陸軍士官学校(旧5期)[3]に入学し、1884年(明治17年)に卒業[2]。工兵中尉として熊本鎮台工兵大隊副官を務めた[4]。免官後、藤田伝三郎大倉喜八郎が共同出資する日本土木会社(のち大倉組)社員となり、東京湾砲台建設、紀淡海峡砲台建設、東京湾の浚渫と月島埋め立てなどを手掛けた[4]1897年(明治30年)、内務省官吏となり、岡山県技師に任じられた[4]。岡山県土木課長として児島湾開墾・宇野港築港を担当した[2]。その後、丸亀市長に選出されたが、辞退して就任しなかった[2]

1907年(明治40年)、衆議院補欠選挙で当選[5]第14回衆議院議員総選挙第15回衆議院議員総選挙でも当選を果たした。 1927年(昭和2年)、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、文書毀棄の容疑で起訴されるも、同年12月16日に無罪判決を受けた[6]

脚注

  1. ^ 衆議院『第52回帝国議会衆議院議員名簿』、1926年。
  2. ^ a b c d e 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年、230頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録』
  5. ^ 『官報』第7337号、明治40年12月11日。
  6. ^ 暴行十代議士に有罪判決『東京日日新聞』昭和2年12月17日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p240 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 



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