一緒に練習するのが嫌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 19:43 UTC 版)
阿部はデビュー当時から、平間誠記の練習仲間として一緒に練習していたが、実際のところ、平間が阿部ら若手に対して「指導」を行うために練習に付き合わせたという側面が強かった。ロードワーク中に周囲が田んぼに囲まれた場所へとさしかかると平間は突然、「おい!これから競りの練習だ!」といって阿部らの横にピッタリと車を寄せ、ゴリゴリと競りを行い、最後は決まって田んぼの中へ阿部らを突き落としたという。 しかもそうした練習が幾度も繰り返されたという。阿部は何度もこうした仕打ちを平間から受け、「平間さんと練習するのが本当に嫌だった。」とSPEEDチャンネルなどの競輪情報番組等で話していたが、そもそも平間が練習相手として選んでいたのは自らが本当に目をかけた選手だけで、その中に阿部もいたということは、阿部の将来性を高く評価していたということに他ならない。 しかし、1968年に平間は不慮の事故で他界。だがその生前、荒々しい練習を平間とともに行ってきた阿部ら当時の若手選手たちは平間の死後、続々とGIタイトルを奪取することになる。その中で阿部は華麗な捲りを武器として、福島正幸、田中博とともに三強を形成し、競輪史に名を残す名選手へとのしあがっていく。
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