一柳末周とは? わかりやすく解説

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一柳末周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 17:37 UTC 版)

 
一柳末周
時代 江戸時代後期
生誕 寛政3年8月8日1791年9月5日[1]
死没 嘉永5年11月23日1853年1月2日[1]
改名 英同[1][2]→末周
別名 鑁三郎(幼名)[1][2]
戒名 義雲院殿徳叟元良大居士[1]
墓所 東京都渋谷区広尾の祥雲寺[1]
官位 従五位下対馬守[1]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨小野藩
氏族 一柳氏
父母 一柳末英一柳末昭
兄弟 末昭末周
藤堂高嶷
末延一柳直方正室、青木能次室、末清
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一柳 末周(ひとつやなぎ すえちか)は、江戸時代後期の大名播磨国小野藩8代藩主。官位従五位下対馬守

略歴

6代藩主・一柳末英の三男として江戸にて誕生。初名は英同。

文化9年(1812年)12月8日、先代藩主で兄の末昭が早世したため、その養嗣子となって跡を継いだ。文化10年10月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下対馬守に叙任する。

天保2年(1831年)11月23日、病気を理由に家督を長男・末延に譲って隠居し、嘉永5年(1852年)11月23日に江戸にて死去した。享年62。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。

系譜

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g 一柳貞吉 1933, p. 48.
  2. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第六百四、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.160、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.160。

参考文献

外部リンク




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