ヴェルラム伯爵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ヴェルラム伯爵の意味・解説 

ヴェルラム伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:40 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ヴェルラム伯爵

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Argent on a Fess Sable three Spur Rowels of six points Or pierced Gules in the dexter chief point an Ermine Spot (Grimston); 2nd, Sable a Fess dancetty between two Leopards' Faces Or (Luckyn); 3rd, Argent three Bugle horns Sable (Forrester) Crest:A Stag's Head erased proper attired Or Supporters:On the dexter side a Stag regardant proper attired Or, and on the sinister side a Griffin regardant Or
創設時期 1815年11月24日
創設者 摂政ジョージ(ジョージ3世名代)
貴族 連合王国貴族
初代 4代子爵ジェームズ・グリムストン英語版
現所有者 ジョン・グリムストン英語版
相続人 グリムストン子爵ジェームズ・グリムストン
相続資格 初代伯の嫡出直系男子
付随称号 下記
現況 存続
邸宅 ゴーレムベリー・ハウス英語版
紋章標語 Mediocria Firma
(Moderate things are stable)

ヴェルラム伯爵(: Earl of Verulam)はイギリスの伯爵貴族連合王国貴族爵位。

ラッキン準男爵(のちグリムストン準男爵)及びグリムストン子爵を前身として、ウィリアム・グリムストンが1719年に叙位されたことに始まる。

あまたある英国貴族のなかでも、イングランドスコットランド及びアイルランドの爵位を併せ持ち、くわえてグレートブリテン貴族ならびに連合王国貴族爵位をも保有するきわめて珍しい状態を維持している[註釈 1]

歴史

一族の現邸宅であるゴーレムベリー・ハウス。第2種国定建造物に指定[3]

ラッキン家の興隆

ラッキン家は本来エセックス地方に住まうヨーマンであったが、15世紀中葉から次第にジェントルマンを自称しはじめた[4]。その祖ウィリアム・ラッキン(William Luckyn,1594-1660)リトル・ウォルサム英語版[註釈 2]に地所を購入するとともに、1628年ごろにはイングランド準男爵位として(エセックス州リトル・ウォルサムの)準男爵(Baronet, of Little Waltham, in the County of Essex)を得た[4][5]

2代準男爵カペル(1622-1680)長期議会におけるハリッジ選挙区英語版選出の議員を務めている[4][6]

その孫にあたる4代準男爵ハーボトル(1683–1737)が男子なく死去すると、準男爵位は弟のウィリアムが継承した[7]

グリムストン家の財産の継承

5代準男爵ウィリアム(1684–1756)は準男爵を相続する以前の1719年にアイルランド貴族としてグリムストン子爵(Viscount Grimston)及びダンボイン男爵(Baron Dunboyne)に叙せられた[8]。彼はさらに大叔父にあたる第3代グリムストン準男爵英語版の死に伴って地所と財産を相続した際、その姓を「ラッキン」から「グリムストン」に改姓している[5][7]。初代子爵は19人の子供をもうけたほか、爵位は存命の次男ジェームズ及びその子ジェームズ・バックナルの順で継承されている[5][8]

3代子爵ジェームズ・バックナル(1747-1808)庶民院議員として活動後、1790年グレートブリテン貴族爵位のハートフォード州におけるゴーレムベリーのヴェルラム男爵(Baron Verulam, of Gorhambury in the County of Hertford)を授けられたため、以降の歴代当主は自動的に貴族院における議席を確保することができた[註釈 3][9][10]

伯爵家としての歴史

その子であるジェームズ・グリムストン英語版(1775-1845)は襲爵の前年に、母方のいとこからスコットランド貴族爵位のフォレスター卿英語版を相続している[註釈 4][11]。彼は続く1815年には連合王国貴族としてヴェルラム伯爵(Earl of Verulam)に昇叙するとともに、あわせてグリムストン子爵(Viscount Grimston)を授けられた。そのため、初代伯以降の歴代当主は英国貴族の持ちうる5種類すべての爵位を保持する状態に至った[5][10][11][12]

2代伯ジェームズ(1809-1895)侍従たる議員英語版ハートフォードシャー統監英語版を務めたほか、熱心なボクシング愛好家としても活動した[5][11][13]

その孫にあたる4代伯ジェームズ(1880–1949)電気工学技師であったことから電気ケーブルメーカーのエンフィールドケーブル社英語版を設立している[11][14]

その子である5代伯ジェームズ(1910-1960)も同社を率いる実業家であったが、彼には子がなかったために爵位は弟のジョン(6代伯)が相続した[11][15]

その息子である7代伯ジョン(1951-)がヴェルラム伯爵家現当主であり、一族の邸宅であるゴーレムベリー・ハウス英語版に居を構えている[16]

一族のモットーは「節度あるは無難なり(Mediocria Firma)[11]

現当主の保有爵位 / 準男爵位

現当主である第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン英語版は、以下の爵位及び準男爵位を有する[11]

  • 第7代グリムストン子爵(7th Viscount Grimston)
    (1815年11月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代ダンボイン男爵英語版(10th Baron Dunboyne)
    (1719年5月29日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第14代(エセックス州リトル・ウォルサムの)準男爵英語版(14th Baronet, of Little Waltham, in the County of Essex)
    (1628/29年3月2日の勅許状によるイングランド準男爵位)

一覧

(リトル・ウォルサムの)準男爵(1629年)

  • 初代準男爵サー・ウィリアム・ラッキン (1594–1660)
  • 第2代準男爵サー・カペル・ラッキン英語版 (1622–1680)
  • 第3代準男爵サー・ウィリアム・ラッキン (? - c. 1708)
  • 第4代準男爵サー・ハーボトル・ラッキン (1683–1737)
  • 第5代準男爵サー・ウィリアム・グリムストン (c. 1684–1756) (1719年にグリムストン子爵創設)

グリムストン子爵(1719年)

ヴェルラム伯爵(1815年)

  • 初代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン英語版 (1775–1845)
  • 第2代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン英語版 (1809–1895)
  • 第3代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン英語版 (1852–1924)
  • 第4代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン英語版 (1880–1949)
  • 第5代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ブラバゾン・グリムストン英語版 (1910–1960)
  • 第6代ヴェルラム伯爵ジョン・グリムストン英語版 (1912–1973)
  • 第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン英語版 (1951 - )

法定推定相続人は現当主の息子であるグリムストン子爵(儀礼称号)ジェームズ・ウォルター・グリムストン(1978 - )。

法定推定相続人の法定推定相続人は、その息子のジョン・イニス・アーチー・グリムストン(2010 - )閣下。

脚注

註釈

[脚注の使い方]
  1. ^ バークス貴族名鑑英語版』(1931年版)によれば、ヴェルラム伯爵のように3つ以上のイギリス内のカントリーをまたいで爵位を持つ家は20世紀においてはアバコーン公爵ランズダウン侯爵のみであった[1]。ただしその後、ランズダウン侯爵はスコットランド貴族爵位(註:ネアーン卿)と分離したため、現在は様子が異なる[2]
  2. ^ 同荘園はエセックス州チェルムスフォードの北に位置する小村である。
  3. ^ 政治家としての盟友の初代ソールズベリー侯爵が尽力してくれたことによる叙爵であるという。
  4. ^ 彼は母ハリエットを通じて第5代フォレスター卿の女系子孫であったため、その承継が生じた[11]

出典

  1. ^ Abercorn”. peerageandgentry.com. 2020年4月5日閲覧。
  2. ^ Nairne, Lord (S, 1681)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月5日閲覧。
  3. ^ House, Gorhambury. “Gorhambury House”. www.historichouses.org. 2020年4月4日閲覧。
  4. ^ a b c LUCKYN, Capel (1622-80), of Messing Hall, Essex. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  5. ^ a b c d e Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 902. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  6. ^ Read the eBook Collins's peerage of England; genealogical, biographical, and historical by Arthur Collins online for free (page 20 of 56)”. www.ebooksread.com. 2020年4月4日閲覧。
  7. ^ a b GRIMSTON (formerly LUCKYN), William (1684-1756), of Gorhambury, Herts. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  8. ^ a b Vian, Alsager (1890). "Grimston,WilliamLuckyn" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). 23. London: Smith, Elder & Co. p. 260-261.
  9. ^ No.13210”. The Gazette 15 June 1790. 2020年4月4日閲覧。
  10. ^ a b GRIMSTON, James Bucknall, 3rd Visct. Grimston [I (1747-1808), of Gorhambury, Herts. | History of Parliament Online]”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年4月4日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h Verulam, Earl of (UK, 1815)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月4日閲覧。
  12. ^ No.17066”. The Gazette 30 September 1815. 2020年4月4日閲覧。
  13. ^ List of patrons, location and details of the Rum Pum-pas club in Thormanby, (1900) Boxers and their Battles; Antecdotal Sketches and Personal Recollections, London, R. A. Everett and Co., pg. 267-8.
  14. ^ “[https://www.cityoflondon.gov.uk/things-to-do/london-metropolitan-archives/the-collections/Documents/diocese-of-london-consistory-court-wills-index-s.pdf Index to the Diocese of London Consistory Court Wills]”. シティ・オブ・ロンドン. p. 15. 2020年4月5日閲覧。
  15. ^ ltd, comdevelopment. “ENFIELD ROLLING MILLS,LIMITED, KT13 0TS : Companies House Number 00200137” (英語). Companies In The UK. 2020年4月4日閲覧。
  16. ^ Burton, Madeleine. “Traffic-chaos wedding was that of Earl of Verulam’s daughter” (英語). Herts Advertiser. 2020年4月4日閲覧。

関連項目


ヴェルラム伯爵(1815年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:40 UTC 版)

「ヴェルラム伯爵」の記事における「ヴェルラム伯爵(1815年)」の解説

初代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン(英語版) (1775–1845) 第2代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン(英語版) (1809–1895) 第3代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン(英語版) (1852–1924) 第4代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ウォルター・グリムストン(英語版) (1880–1949) 第5代ヴェルラム伯爵ジェームズ・ブラバゾン・グリムストン(英語版) (1910–1960) 第6代ヴェルラム伯爵ジョン・グリムストン(英語版) (1912–1973) 第7代ヴェルラム伯爵ジョン・ダンカン・グリムストン(英語版) (1951 - ) 法定推定相続人現当主の息子であるグリムストン子爵(儀礼称号)ジェームズ・ウォルター・グリムストン(1978 - )。 法定推定相続人法定推定相続人は、その息子のジョン・イニス・アーチー・グリムストン(2010 - )閣下

※この「ヴェルラム伯爵(1815年)」の解説は、「ヴェルラム伯爵」の解説の一部です。
「ヴェルラム伯爵(1815年)」を含む「ヴェルラム伯爵」の記事については、「ヴェルラム伯爵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ヴェルラム伯爵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴェルラム伯爵」の関連用語

ヴェルラム伯爵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴェルラム伯爵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴェルラム伯爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヴェルラム伯爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS