ヴィクラマーディティヤ6世の治下における最盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/17 09:13 UTC 版)
「後期チャールキヤ朝」の記事における「ヴィクラマーディティヤ6世の治下における最盛期」の解説
1076年、ついに王弟ヴィクラマーディティヤは兄王ソーメーシュヴァラ2世を破り、ソーメーシュヴァラ2世は捕らえられて投獄され、ヴィクラマーディティヤは新たにヴィクラマーディティヤ6世(在位1076 - 1126)として王となった。 ヴィクラマーディティヤ6世の50年にわたる治世はおおむね平和で、その宮廷では文化が栄え、詩人、文人たちが多く集まり、サンスクリット詩人ビルハナは叙事詩「ヴィクラマーンカデーヴァチャリタ」を書いて、その業績をたたえている。だが、ヴィクラマーディティヤ6世の治世、デカンのヤーダヴァ家、カーカティーヤ家、南インドのホイサラ家など諸侯が力をつけ、12世紀初頭になるとホイサラ家は半独立の姿勢を見せるようになった。 しかし、ヴィクラマーディティヤ6世はこれら諸侯をおさえ、軍事活動を行い領土をさらに拡大し、東チャールキヤ朝の旧領の支配権をめぐるチョーラ朝との争いでは優位に立ち、チョーラ朝の内政にも介入した。 このように、ヴィクラマーディティヤ6世の治世は安定していて、その治世はチャールキヤ朝の最盛期であり、「チャールキヤ・ヴィクラマ時代(Chalukya-Vikrama era)」と呼ばれ、このことからヴィクラマーディティヤ6世はチャールキヤ朝の最も偉大な王されている。
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