ヴァイオント・ダム災害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 21:11 UTC 版)
「エルト・エ・カッソ」の記事における「ヴァイオント・ダム災害」の解説
詳細は「バイオントダム」を参照 1950年代の終わり、アドリア電力会社(SADE)(it:Società Adriatica di Elettricità)が、カッソの集落の下に巨大ダムを建設し、ヴァイオント谷を貯水池とする事業を行った。1960年、世界最大の高さ(堤高262m)を持つヴァイオント・ダムが竣工した。しかし、ダムの完成後しばしば地滑りが発生した。 1963年10月9日、集落の対岸にあるトック山(it:Monte Toc)が大規模な地滑りを起こし、ダム湖に発生した津波が周辺の町や村を襲った。これにより、コムーネのダム湖南岸にあったピネダ(Pineda)、プラダ(Prada)、北岸にあったスペッセ(Spesse)、サン・マルティーノ(San Martino)などといった集落が破壊され、中心集落であるエルトとカッソの一部も打撃を受けた。ヴァイオントダム災害は、全体で2000人以上の犠牲が出たが、エルト・エ・カッソのコムーネは、347人の犠牲者を出した。
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