ロッジP2とバチカン、CIAとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:34 UTC 版)
「ミケーレ・シンドーナ」の記事における「ロッジP2とバチカン、CIAとの関係」の解説
1960年代後半には、ネオ・ファシストの極右政党であるMSIやCIA、さらにサルヴァトーレ・リイナと深い関係を持っていたリーチオ・ジェッリが代表を務めるフリーメイソンの「ロッジP2(Propaganda Due)」の会員となり、ジェッリを通じて、その後宗教事業協会(バチカン銀行)の主力取引行のアンブロシアーノ銀行の頭取となったロベルト・カルヴィと知り合うこととなった。 当時のバチカン銀行の総裁は、ジェッリと親しかったポール・マルチンクス大司教が勤めており、その後バチカン銀行はシンドーナが頭取となったプリバータ・フィナンツァリア銀行の大株主となり、シンドーナもマルチンクス大司教の計らいで、ローマ教皇庁の財務顧問に就任した。なおマルチンクス大司教は、シンドーナとミラノ時代に関係を結び、その後1963年にローマ教皇になったパウロ6世にの推薦によってバチカン銀行の総裁に任命されていた。 さらにマルチンクス大司教と昵懇の仲のアメリカ人銀行家で、リチャード・ニクソン政権の財務長官を務めたデヴィッド・M・ケネディが頭取を務めるコンチネンタル・イリノイ銀行も、プリバータ・フィナンツァリア銀行の残りの多くの株を所有することとなった。
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