ロシア・ドイツ間の交渉
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「プリアモスの財宝」の記事における「ロシア・ドイツ間の交渉」の解説
1994年10月26日、イリーナ・アントノワはプーシキン美術館の考古学部門の責任者ウラジミール・トルスティコフ(Vladimir Tolstikov)とともに、シュリーマン・コレクションの運命について25年間調査したクラウス・ゴールドマン(ドイツ語版)を含む4人のベルリンのキュレーターの面前で、トロイアの財宝に由来するいくつかの出土品をソ連のテレビ局のカメラに提示した。それから4人のドイツ人はトルスティコフによって別の一室に案内され、彼らはその場所で金の財宝のすべてが入ったトレイを見せられた。 返還の問題は今日までロシア当局によって繰り返し拒否されてきた。1996年にモスクワで大規模なシュリーマン展が催され、トロイアの財宝が50年ぶりに公開され、カタログ・レゾネも出版された。現在、プリアモスの財宝はプーシキン美術館の常設展示の一部となっている。トルコは現在、財宝の返還を望んでいる。 ドイツでは2009年以降、シュリーマン・コレクションの大部分の複製が、新博物館の建物の中にあるベルリン先史博物館(英語版)のシュリーマン・ホールで見ることができる。それらはソ連から東ドイツに、1992年にロシアからドイツに引き渡された少数のオリジナルの遺物とともに展示されている。
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