ロクスバラ公位継承事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 20:30 UTC 版)
「ジェームズ・イニス=カー (第5代ロクスバラ公爵)」の記事における「ロクスバラ公位継承事件」の解説
1805年に遠縁の第4代ロクスバラ公爵が死去して公位は爵位停止となった。ジェームズはイニス家を通じて公爵家の祖(初代ロクスバラ伯爵(英語版))の女系子孫であったため、1807年にその姓に「カー(Ker)」を加えたほか、爵位と地所の継承を主張した。しかし、この主張には親族から異議が唱えられた。すなわち、エセックス・カー(Essex Ker、第2代ロクスバラ伯爵の女系子孫)、ウォルター・カー陸軍少将(Maj Gen Walter Ker、初代ロクスバラ伯爵の傍系男子)及びウィリアム・ドラモンド(William Drummond、4代公の傍系男子)らも同様にその継承を求めた。なかでも、カー将軍は4代公の生前の1804年に貴族院から「最も正式な初代伯とその子ハリー・カー卿の男子相続人(the nearest lawful heir-male of Robert , 1st Earl of Roxburghe, and of his son Hon Harry Ker)」との裁定を得ていた。ただし、この形勢は逆転してジェームズに有利に展開することとなる。1809年に入ると、時の大法官エルドン卿(英語版)は3日にわたってジェームズが他の請願者よりも後継者として優れている旨の答弁を貴族院で行った。彼は続く1812年3月に家系図を同院に提出、貴族院特権委員会は同年5月にジェームズに公位が帰属する旨の裁定を行った。 ジェームズは裁定に基づいて爵位を継承するとともにフロアズ城(英語版)と10万ポンドの財産を相続した。公位の請願には莫大な費用が掛かっていたため、公爵は直ちに第3代ロクスバラ公爵(英語版)の私設図書館を売却した。また親族との和解にも動き、かつて公位を争った親族にも便宜を図っている。 1823年にフロアズ城で死去、カー一族の墓所のあるボーデン村(英語版)に埋葬された。息子ジェームズが爵位を継承した。
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