ルディ・グーテンドルフとは? わかりやすく解説

ルディ・グーテンドルフ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 11:54 UTC 版)

ルディ・グーテンドルフ
ルディ・グーテンドルフ(2005年)
名前
本名 ルドルフ・グーテンドルフ
Rudolf Gutendorf
カタカナ Rudi Gutendorf
基本情報
生年月日 (1926-08-30) 1926年8月30日
ドイツ国, コブレンツ
没年月日 (2019-09-13) 2019年9月13日(93歳没)
ドイツ
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1944-1953 TuSノイエンドルフ
監督歴
#指導者歴参照
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルディ・グーテンドルフドイツ語: Rudi Gutendorf, 1926年8月30日 - 2019年9月13日)は、ドイツコブレンツ出身のサッカー選手サッカー監督。選手時代のポジションはフォワード

経歴

現役時代はTuSノイエンドルフに在籍し、右ウイングとしてプレーした[1]

現役引退後はゼップ・ヘルベルガーから指導を受けてサッカー指導者に転身[2]。ドイツ国内を中心に各国のクラブ・代表チームで監督を歴任。マイデリッヒャーSV監督時代には守備的戦術をチームに導入して創設1年目の1963-64シーズンのブンデスリーガで2位に入り[1]シャルケ04監督時代の1969-70シーズンにはUEFAカップウィナーズカップでベスト4に導いた[1]

1984年、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ1969)の監督に就任した[3]与那城ジョージを筆頭に南米路線を採っていたクラブに、ユーゴスラビアのヴィエラン・シムニッチやスコットランドのスティーブン・パターソンといった当時のJSLでは珍しいヨーロッパ出身の選手を加入させ、組織戦術や規律の導入を試みた[3]。1984年シーズンにJSL天皇杯の二冠を獲得[3]。翌1985年シーズンにJSLカップ優勝を成し遂げたが、リーグ戦では不振が続き、1986年1月にクラブを去った[3]

2003年までにネパール代表トンガ代表ルワンダ代表など5大陸の代表チームを指導するなど、32か国55チームの監督を務めており、ギネス世界記録に登録されている[1]

2016年10月、ドイツ国内の難民を対象にしたチーム「TuSインターナショナル」の監督に就任した[4]

2019年9月13日に死去したと報じられた[5]

指導者歴

特記ないものはいずれもチーム監督。

01. 1946 - 1954 SVレングスドルフ
02. 1954 ロートヴァイス・コブレンツ
03. 1954 VfBリュッツェル
04. 1954 SVブラウバッハ
05. 1954 TuSノイエンドルフ
06. 1955 FCブルースターズ・チューリッヒ英語版
07. 1955 - 1960 FCルツェルン
08. 1961 USモナスティル英語版
09. 1962 - 1963 TSVマール・ヒュルス英語版
10. 1963 - 1964 マイデリッヒャーSV
11. 1965 VfBシュトゥットガルト
12. 1966 - 1968 セントルイス・スターズ
13. 1968  バミューダ諸島代表
14. 1968 - 1970 シャルケ04
15. 1970 - 1971 キッカーズ・オッフェンバッハ
16. 1972 スポルティング・クリスタル
17. 1972  チリ代表
18. 1974 TSV1860ミュンヘン
19. 1974 室内サッカーワールドカップ・マネージングダイレクター
20. 1974  ボリビア代表
21. 1974 FCボリビア
22. 1974  ベネズエラ代表
23. 1975 レアル・バリャドリード
24. 1975 - 1976 SCフォルトゥナ・ケルン
25. 1976  トリニダード・トバゴ代表
26. 1976  グレナダ代表
27. 1976  アンティグア・バーブーダ代表
28. 1976  ボツワナ代表
29. 1976 - 1977 TBベルリン
30. 1977 ハンブルガーSV
31. 1978  オーストラリア代表
32. 1980 フィリピンでの国際サッカー連盟任命サッカー講師
33. 1980  ニューカレドニア代表
34. 1981 フィジーサッカー指導者育成責任者
35. 1981  ネパール代表
36. 1981  トンガ代表
37. 1981  タンザニア代表
38. 1981 - 1982 ヤンガ・ダルエスサラーム英語版
39. 1982 タンザニア・アリーシャでのサッカー指導者育成責任者
40. 1982 - 1984 読売サッカークラブ
41. 1984 ヘルタ・ベルリン
42. 1984  サントメ・プリンシペ代表
43. 1985  ガーナ代表
44. 1985  ネパール代表
45. 1986 ネパールでのサッカー指導者育成責任者
46. 1987 フィジーでのサッカー指導者育成責任者
47. 1987  フィジー代表
48. 1988 中国でのサッカー指導者育成責任者
49. 1988  イランオリンピック代表
50. 1991 - 1992  中国オリンピック代表
51 1995 - 1996  ジンバブエ代表
52. 1997  モーリシャス代表
53. 1998 TuSコブレンツスポーツディレクター
54. 1999  ルワンダ代表
55. 2003  サモア代表
56. 2016-2019 TuSインターナショナル

脚注

  1. ^ a b c d "Riegel-Rudi" Gutendorf wird 90”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V. (2016年8月30日). 2017年11月24日閲覧。
  2. ^ Der älteste Coach der Welt - Rudi Gutendorf (90) trainiert jetzt Flüchtlinge”. Bild.de (2016年10月10日). 2017年11月24日閲覧。
  3. ^ a b c d 読売サッカークラブ〜東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ〜ヴェルディの40年』東京ヴェルディ1969フットボールクラブ株式会社、2010年、39-40頁。 
  4. ^ TuS International”. TuS Koblenz (2016年10月8日). 2017年11月24日閲覧。
  5. ^ “ギネス記録55チーム指揮の伝説的監督が93歳で死去。読売クラブでも国内2冠”. フットボールチャンネル. (2019年9月15日). https://www.footballchannel.jp/2019/09/15/post338487/ 2021年9月2日閲覧。 

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