ラヴクラフトとの親交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 13:55 UTC 版)
「E・ホフマン・プライス」の記事における「ラヴクラフトとの親交」の解説
実はラヴクラフトとのプライスの関係は、幸運な始まり方をしたものではなかった。 1927年の手紙にラヴクラフトは、自分の小説『霧の高みの不思議な家』が、ウィアードテイルズの編集長ライトから「E・ホフマン・プライスと協議した」末に「知的水準の高い読者にとって十分なほど明確な作品ではない」として拒絶されたと書き残している。 しかし、ラヴクラフトが1932年6月にニューオリンズを訪問した際、ハワードはプライスにラヴクラフトの来訪を告げる電報を打ち、その結果ラヴクラフトとプライスは次の週の多くを一緒に過ごした。2人は意気投合し、文通はラヴクラフトが死去するまで続いた。 2人は共著のためのペンネームとして「エティエンヌ=マーマデューク・ド・マリニー(Etienne Marmaduke de Marigny)」を考案し、これを一部手直ししたものが実際の共作「銀の鍵の門を越えて」の登場人物の名前(エティエンヌ=ローラン・ド・マリニー)として用いられている。「銀の鍵の門を越えて」は、『ウィアード・テイルズ』誌1934年7月号に両名併記の形で発表された。また本作のためにプライスが作成した草案は1982年の『Crypt of Cthulhu』誌10号に「幻影の王」のタイトルで発表されている。ただし、ラヴクラフトはこの草案が気にいらなかったらしく、C.A.スミスに代作してもらうことも考えていた。結果的に自身で書き上げているが、文章は大幅に変更されることとなった。 またプライスは、1933年夏にプロヴィデンスのラヴクラフト邸を訪問している。
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