ラトラー対アレクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 02:22 UTC 版)
1845年3月、イギリス海軍はスクリュープロペラと外輪の性能比較を行なうため、スクリュープロペラを備えた867トンのラトラー号と800トンの外輪蒸気軍艦アレクト号を風向きや帆走併用など条件を変えて競走させた。いずれもラトラーが勝ち、最後に綱引きを行なわせた結果、ラトラーが2.8ノットでアレクトを曳航したことで、ラトラーのスクリュープロペラが有効であると結論付けられた。 イギリス海軍では、1809年に建造された帆走74門戦列艦エイジャックス号が1846年にスクリュー推進の汽走戦列艦に改装された。初の汽走90門戦列艦はフランス海軍のナポレオン号が1850年に完成し、イギリス海軍でも1852年には最初から汽走91門戦列艦として建造されたアガメムノン号が就役した。 イギリスとフランスでは汽走軍艦の広範な建艦競争が始まる。両国が1853年のクリミア戦争に参戦する要因となったシノープ海戦、そして、過去のアヘン戦争など、浅瀬で激しい抵抗に出くわした場合、機動力に富んだ喫水の浅い汽走砲艦が有利であることは認識されていた。
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