ラジオの登場・エンタツアチャコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:44 UTC 版)
「寄席」の記事における「ラジオの登場・エンタツアチャコ」の解説
戦後は上方落語の復興機運が高まるとともに、ミナミに戎橋松竹が開場(千土地興行(後の日本ドリーム観光)が経営)。大阪唯一の落語中心の寄席として人気を博した。1957年に経営難から閉鎖された後は、大阪では地域の有志が寺や公民館、蕎麦屋などを会場に「地域寄席」という形で寄席文化を継承してきた(「田辺寄席」「岩田寄席」など)。その後六代桂文枝など落語関係者一同の長年の復活への努力が実って、2006年9月15日に大阪天満宮横に半世紀ぶりの寄席となる「天満天神繁昌亭」が開場した。
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