ライブでの負傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:57 UTC 版)
1986年7月27日、岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ミュージックフェスティバル」にて、オープニングの「創世紀」演奏中に野外ステージの屋根上から登場し、屋根にぶら下がった状態からステージに飛び降りて着地する際、機材セットに衝突して脚を骨折してしまう。激痛に見舞われる中、しかし当初の段取り通り1曲目「THE END OF THE CENTURY」を歌唱。同曲終了直後に信者(ファン)に対して「蒜山高原の諸君元気か!!(歓声)吾輩は元気でなくなってしまった、急に」と言ったことで、容態の変化を暗に信者に伝えた。それでも「吾輩はこのミサを全うする」とMCを行い、マイクスタンドを杖代わりに説法を含めた20分強の公演をこなした。悪魔組曲での天地逆転唱法(三点倒立で歌う)は行わなかった(流石に無理だった)が、最後に「本日は申し訳なかった、この借りは必ず返す」と言い残し、会場に近い鳥取県米子市内の病院に直行。そのまま重傷の脚部を改造手術する為入院した。 付き添っていた実母に対して、病室で見舞いに来た者を労うため「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と依頼したことが、当時宝島社の編集者であった映画評論家・町山智浩により「ママぁ、梨剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説となった。本人は後に著書で、『梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがない』と否定している。実母は「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に、関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶したことがある。
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