モデナ・レッジョ・マッサ公、カッラーラ候
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:26 UTC 版)
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1814年に再興されたのち、マリア・ベアトリーチェの息子フランチェスコ4世がモデナ・レッジョ・マッサの公爵、カッラーラの支配者となった。後継者となった息子フランチェスコ5世は1859年に廃位し、公爵領は1860年にサルデーニャ王国に併合された。 現在、フェラーラのエステ城(エステンセ城(英語版))が一般に公開されている。ティヴォリのエステ家別荘は、2001年に世界遺産に登録された。 また、ドイツの大諸侯の1つヴェルフ家は、1055年にアルベルト・アッツォ2世と古ヴェルフ家のクニグンデとの間の子であるヴェルフがヴェルフ家を継いでヴェルフ=エステ家を興したことに始まり、男系でエステ家に連なる。イタリアのエステ家はアルベルト・アッツォ2世と2番目の妻メーヌ伯女との間のフォルコ1世が継承した。
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