メドウェイ川襲撃と和睦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 03:03 UTC 版)
「ホームズの焚火」の記事における「メドウェイ川襲撃と和睦」の解説
20マイル(約32キロ)南のテセルの前にいたイングランド艦隊から煙と炎がよく見えたといわれ、この煙と炎は、ホームズが倉庫を焼き払った確かなしるしであった。海軍軍人のカンバーランド公ルパートとマンクはこれに応えて勝利を祝う文書を送ったが、その文中には、敵も警戒しているようなのですみやかに退却するようにという指示があった[7]。 翌年の1667年、戦争に疲れた両国は和睦の予備交渉に入ったが、和睦交渉に関して、両国の元首がまるで反対の姿勢を示したのが原因となり、交渉の最中にオランダ艦隊はテムズ河口を襲撃して、停泊していたイングランドの主力艦隊にかなりの損害を与えた。これがメドウェイ川襲撃(メッドウェーの襲撃)であり、意気消沈したイングランドが折れてオランダも譲歩して交渉が進展、ブレダの和約締結で英蘭戦争は終結した。
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