メインスタジアム建設の経緯と大会の膨大な赤字
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「1976年モントリオールオリンピック」の記事における「メインスタジアム建設の経緯と大会の膨大な赤字」の解説
メインスタジアムの建設は当時世界初とうたわれた開閉式屋根の巨大競技場として計画され、当初予算3億2000万カナダドルでスタートしたが、第一次オイルショックが発端になった物価高騰で建設費は膨れ上がり、工事も遅れ、未完成のままオリンピックの開催に至った。開催までに見積もりの2倍の2億6400万カナダドルが投入され、その後の建設・改修・修復費用に金利を加えると最終的には16億1000万カナダドルに上った。そのため、大会は膨大な赤字を計上した。モントリオール市と同市が所在するケベック州政府は共同でこれらの負担を弁済し終わったのは、オリンピック開催から30年後の2006年11月であった。その財源は増税という形で住民から調達し、モントリオール市は不動産税などを、ケベック州はたばこ税などをそれぞれ増税することによって補填した。 以降、社会主義国であったソ連で行われた1980年開催のモスクワオリンピックを挟み、1984年開催のロサンゼルスオリンピックで商業化が著しくなってゆく端緒となった大会ともいえる。
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