ムフタールとカダフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 08:51 UTC 版)
「オマル・ムフタール」の記事における「ムフタールとカダフィ」の解説
20年近くに渡り抵抗運動を指揮したムフタールは「リビア独立の父」として尊敬の対象となっており、カダフィ政権下のリビアでは最高紙幣の10ディナール札に肖像が使用されていた(最高指導者であるムアンマル・カダフィの肖像は1ディナール札に使用されていた)。また、カダフィは1981年にアメリカ合衆国・ハリウッドと共同でムフタールとイタリア軍の戦いを描いた映画『砂漠のライオン』を制作し、3,500万ドルを制作費として出資している。 カダフィは2009年6月10日にムフタールの息子と共にローマを訪問するが、その際にムフタールがイタリア軍に捕縛された時の写真を胸に付けてシルヴィオ・ベルルスコーニ首相と会談し物議を醸した。 2011年リビア内戦が勃発すると、ムフタールは自由の象徴として反カダフィ派のポスターや旗に用いられるようになり、「オマル・ムフタール旅団」を名乗る反カダフィ部隊も現れた。反カダフィ勢力のリビア国民評議会が拠点を置いたベンガジでは、1ディナール札の肖像をカダフィからムフタールに貼り換えた偽札が出回るようになった。クドゥス・アラビー紙は反カダフィ勢力との徹底抗戦を主張するカダフィをムフタールを引き合いに「カダフィはムフタールではなくムッソリーニの同類」と批判している。
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