ミルリーフの偉業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
1971年には、前年のニジンスキーに勝るとも劣らない一流馬がイギリスからやってきた。ミルリーフ(Mill Reef)はダービーを勝って3歳馬の頂点にたつと、夏のエクリプスステークスでフランス最強古馬のカロを破り、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを6馬身差で楽勝した。 ニジンスキーとは異なり、ミルリーフはたっぷりと休養をとって、秋はぶっつけで凱旋門賞にやってきた。ミルリーフの調教師は、英仏海峡を渡るにあたってミルリーフのストレスが最小限度で済むように、アメリカ大使にかけあってアメリカ空軍基地から空輸する特別な許可を得た。基地の司令官は輸送に全面的に協力し、厩舎を出発してからフランスに到着して通関手続が済むまでたったの2時間で済んだ。 凱旋門賞当日は、10年ぶりにフランス大統領が臨席した。大富豪として知られるデ・ビアスのオッペンハイマー卿の姿もあったが、これは彼の会社が翌年からキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスのスポンサーになるための下調べだった。 ミルリーフは期待に応え、後続に3馬身差をつけて楽勝した。走破タイムの2分38秒30は2400メートルのレコードタイムだった。ミルリーフは翌年も凱旋門賞連覇を目指したが、凱旋門賞の1ヶ月半前、調教中に脚を4箇所骨折をする致命的な怪我を負った。普通であれば文字通り命にかかわる大怪我だったが、ミルリーフは気性が穏やかで長期間のギプス治療に耐えた。種牡馬となったミルリーフは大成功をおさめた。
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