ミナンカバウ人・ブギス人のマレー世界への参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:02 UTC 版)
「ジョホール王国」の記事における「ミナンカバウ人・ブギス人のマレー世界への参入」の解説
ポルトガル、ジョホール、アチェの三者抗争が終結し、ジョホールが域内の拠点として台頭すると、マラッカ海峡にはスマトラ島内陸部のミナンカバウ人やスラウェシ島(セレベス島。現インドネシア)のブギス人が多数参入しはじめた。ミナンカバウの人びとの多くがスマトラ東岸やマレー半島に移住し、農業や商業にたずさわり、マカッサルがオランダに占領された17世紀後半にはブギス人の移住が始まった。 ブギス人は航海技術に優れ、高い戦闘能力を有して傭兵としても有能であった。ジャンビとの戦争において重要な役割を果たしたのもブギス人であった。これら新規移住者たちは、当時人口が稠密であったスマトラの主要港市においては、しばしば先住民との軋轢を生んだが、比較的余裕のあるマレー半島では出身地ごとにコミュニティを形成し、スランゴール(現マレーシア・セランゴール州)、ランガット(同セランゴール州)、リンギ(同ヌグリ・スンビラン州)などの各地で集住地が形成されて定住が進んだ。ジョホール王国にとって、移住者の存在は出身地とのあいだの交易活動を促進させ、移住先には農業・鉱業開発の担い手をもたらすことにもなるので、その活動を認めた。 17世紀中葉から後葉にかけて隆盛をきわめたジョホール王国であったが、王位継承をめぐる内紛やブギス人傭兵による政治介入などによって、17世紀末葉から18世紀にかけてはその繁栄にもしだいに翳りがみえるようになった。
※この「ミナンカバウ人・ブギス人のマレー世界への参入」の解説は、「ジョホール王国」の解説の一部です。
「ミナンカバウ人・ブギス人のマレー世界への参入」を含む「ジョホール王国」の記事については、「ジョホール王国」の概要を参照ください。
- ミナンカバウ人・ブギス人のマレー世界への参入のページへのリンク