ミゲル・デラマドリ・ウルタードとは? わかりやすく解説

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ミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 06:03 UTC 版)

ミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタード
Miguel de la Madrid Hurtado


任期 1982年12月1日1988年11月30日

出生 (1934-12-12) 1934年12月12日
メキシココリマ州コリマ
死去 (2012-04-01) 2012年4月1日(77歳没)
メキシコメキシコシティ

ミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタードスペイン語: Miguel de la Madrid Hurtado, 1934年12月12日 - 2012年4月1日)は、メキシコ政治家1982年から1988年までメキシコ大統領をつとめた。

プロフィール

生い立ち

1934年12月12日、コリマ州の州都コリマで生まれる。メキシコシティに移り、初等・中等教育を受けたあと、1957年メキシコ国立自治大学を卒業。『1857年憲法における経済思想』で法学士号を取得する。

官僚

1953年、メキシコ国立外国貿易銀行に入り、法務部門で勤務した。1960年弁護士となる。メキシコ銀行(中央銀行)経営顧問となる。

1963年制度的革命党(PRI)に入党。1964年から1965年までアメリカハーバード大学ケネディ・スクールに留学し、行政学修士号を取得した。帰国し、大蔵省に入省。大蔵省信用部副部長となる。

1970年にメキシコ石油公社に移り、財務部副部長をつとめる。1972年大蔵省に復帰し、信用部長を経て1975年10月大蔵次官に就任する。1979年5月、企画予算相に就任。有能なテクノクラートとしてメキシコの経済・財政に辣腕を振るう。

大統領

ホセ・ロペス・ポルティーヨ大統領の任期切れに伴い、与党制度的革命党の大統領候補となる。1982年12月1日に大統領に就任。1986年メキシコ大地震が起きた中指導力を発揮したが、麻薬対策は行わず、メキシコ麻薬戦争の激化を招いた。

1987年11月にメキシコシティに開業したホテル・ニッコー・メヒコに、ファミリー企業が51%出資した。1988年にカルロス・サリナス・デ・ゴルタリが次期大統領職に選出されたことを受けて辞任。

死去

2012年4月1日、死去[1]。肺気腫を患い、3か月間入院していたという。77歳没。

関連項目

外部リンク

脚注

公職
先代
ホセ・ロペス・ポルティーヨ
メキシコ合衆国大統領
1982 - 1988
次代
カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ



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